〈手作り〉
私が昼寝から起きたとき、子Bが大量の私宛の手紙をかいてくれていて、その中の、クレヨンの重ね塗りをした絵がとても好みだった。
よく見せたい・上手く見せたいという思惑のない絵は自由で素敵だ。
前回の記事〈好きがりかた〉で、ヘラルボニーの原画が欲しいと書いた。
そうだ、無ければ作ればいい。ヘラルボニーのアーティストの方々には及ばないかもしれないけれど、子Bの絵を貰おう。
子Bにプラ板を渡し、
「この板に同じように描いてくれる?イヤリングにしたいから」
とお願いをした。
子Bは高揚しながら、ここに黒を混ぜるといいとか、青で囲うとかわいいとかお喋りをして、重ね塗りの絵をもう一度描いてくれた。
完成した絵はクレヨンを何色も使って塗り重ねたカラフルな線画だったけど、オーブントースターの熱でプラ板が縮むと、クレヨンが溶けてこんなに幻想的なものになった。
「うわあ!めっちゃいい!天の川がある!」
私は興奮し、子Bに心から感謝した。
思えば私は、小学生の頃から、好みの柄のTシャツがないと、親が買ってくれた白無地のTシャツに油性ペンで絵を描いて着ていた。
高校2年の遠足に着ていくためのTシャツを買うとき、イメージしているデザインのものがなくて困った。カリグラフィの英字とモノクロの女性のイラストがあるTシャツを探していた。
結局アイロンで接着できるシートを買って自分の好きに切り絵をして、白Tシャツに貼り付けた(↓)。
イヤリングは
「赤いのがほしい」
「カエルのがほしい」
などと思い立っては自分で描いたり、こどもに描かせたり、こちらが指定して作ってもらったりした(↓)。
「明日のパンがないならお菓子を食べればいいじゃない」
これは、マリー・アントワネットが言われたとされる有名なセリフだが、これ風に言うと
「売ってなければ作ればいいじゃない」
これは、日常の、ちょっとした彩りかただ。
「寝る前に読むのは自分の本ですね。なんだかんだで自分の書いたものが一番好き」
とおっしゃっていた。
うん、なんだかんだで、自分が生み出したものは可愛い、それはわかる気がする。