〈早朝〉
10日ほど前から、早起きをしている。早くて朝4時半、遅くて5時半に起きるようにしている。夫は夫で早朝ランニングに出かけたりマイペースに過ごすので、私はこども達が起きてくる時間に合わせて朝食を準備するまで、自由だ。
床にクイックルワイパーをかけることもあれば、図書館で借りた本を読んだり、いただいているイラストの仕事をする。
朝気分良く「よし!」と起き上がるために、前夜にメモを書いておく。それには、通勤や通院などの固定の「予定」と、在宅仕事の最低限の「タスク」を書いておく。そうすると、明日に備える気持ちになるのか夜更かしをしづらい。いや、早起きをするから22時には自然と眠くなり、夜更かしができなくなった、の方が正しいのかもしれない。夜遅くまでお酒を飲みながら過ごすのが日常だった私とは思えない。
1日が始まって、メモにある「予定」「タスク」をこなしたら、それを消していく。
通勤がなくて自宅仕事をする日は、ポモドーロタイマーを使う。youtubeで検索すると、雨音とかピアノの伴奏とか、好みのものが見つかるのでそれを流す。
ポモドーロタイマーは、25分作業・5分休憩のサイクルを繰り返す。このリズムは私には合っているようだ。PCを見つめ続ける目休めにもなる。いくら中途半端な状態でも25分で中断して、休憩5分の間にコーヒーを淹れたりストレッチをしたり、ベランダに出たり、ちょっとした家事をして、タイマーが鳴ったらまた作業に戻る。集中するのかとても捗って、あっという間に時間が過ぎる。
そもそも、「仕事」があるのがとてもありがたくて嬉しい。生活の中にそれが組み込まれている喜び。
とかく母親業というものは、我が子にどうしても生活が振り回されてしまって自分主体の人生を生きている感覚が乏しくなる。呼び名すら「●●ちゃんママ」となって自分の名前が消えてしまう。宇多田ヒカルも歌詞にしていたでしょ。
クローゼットの奥で眠るドレス 履かれる日を待つハイヒール
物語の脇役になって大分月日が経つ
(「二時間だけのバカンス」より引用)
私も、なんとなく「あ、このまま私は自分個人として生きることなく母親の役割だけこなして死んでいくのかな」という気持ちになって絶望したこともあったけど。その時の自分に会いに行って、「大丈夫だよ、そんなことないよ」と教えてやりたい。
私は、思い返せばこどもの頃から、いくつかのコミュニティに所属する方が性に合っているようだった。学校だけでなく、習い事、サークル、バイト(職場)など、重なり合う対人関係がないところでそれぞれの「たんかめさん」として振る舞って過ごすのが案外気が楽だったりもした。
我が子が小さな頃から違和感を抱き密かに抗いたかった「●●ちゃんママ」以外に地道に。私個人としてふるまえる居場所を一個ずつ作っていって、今の満たされた気持ちがある。なんてね、ワイン5杯目だから気が大きくなっている。でも、嬉しいの最近。このことが。
話を戻して、早起きの話。早朝から活動していると、1日の始まりから自分の意志だけでコントロールできるという充足感。気分良くスタートを切れる。
夜な夜なワインを飲んで過ごす日々も大好きだけれど、ひとまず今はこの早起き生活を続けてみる。たのしい毎日は、たのしくってやめられない。
〈お悔やみ〉
私が10年超愛用していた、古(いにしえ)のPCが、ついに壊れてしまった。
新PCの使用が軌道に乗ったのを待っていたかのようなタイミングで、壊れてしまった。
今までありがとう。一緒にたくさん乗り越えたね。