〈苦労との関わりかた〉
苦手な大人がいる、という我が子。私が
「良いじゃん。居心地良い大人しか知らなかったら、社会に出た時に色んな大人がいてビックリしちゃうよ。」
と言うと
「嫌だよ。」
と即答された。
「『若いときの苦労は買ってでもしろ』って言うけど、自分は『若いときの苦労は売ってでも避けろ』と思って生きてる。買ってでも苦労する人がいるってことは、売る人がいるからだ。自分は売る側の人間になる。」
いやいや、メルカリか。
私は視力が弱いくせに普段は裸眼で生活しているのだが、先日、久々に家の中で眼鏡をかけてみた。
すると、家具の隙間の埃がよく見えてビックリした。
「え、ここ、こんなに埃あったの?!」
というと子どもに
「そうだよ、見えてなかったの?」
とビックリされた。
「うん、全然見えてなかった…」
子どもらの前なので、重い腰を上げ、これ見よがしに埃を拭き取った。
それから、今さっきまでかけていた眼鏡を、そっと外した。
私も売る側の人間かもしれないと思った。
いや、苦労を見ないようにするということはむしろ、私がお金払ってもいいので引き取ってやってください並の避け方かもしれない。
ちなみに子Bにも
「苦労は売る?買う?」
と聞いたら、ウーンと考えたあと
「うちで捨てる」
とのことだった。