〈リンク〉
年に数回、家族でキャンプに行くが、2019年のゴールデンウィークのキャンプは、私の一つの疑問が爆ぜて解決した、ドラマチックな経験をしたので忘れられない。
具体的に言うと、「枕草子」序段最後の「わろし」の謎と、スピルバーグ監督が瀕死の「E.T」の見た目をあんな風に描いた謎が、同時に解けたのだ。
私の一方的な解釈だけれど、この二つの引っ掛かりが解けたことについて長々と語りますので、以下、興味のある方だけお読みください。
まず、二つの引っ掛かりとは。
【1】かの有名な「春はあけぼの」で始まる「枕草子」序段は、自然物を対象に例を挙げ、「をかし」つまり、これが良い、これもめっちゃ素敵、と良いものを連発する。
そして、冬のくだりの最後になって唐突に「火桶の火も白き灰がちになりてわろし」(火桶の炭火も白い灰が多くなり良くない)と終わる。
良い、素敵、趣深い、と称賛を連ねてきて最後に良くないものの例が一つだけ出るのだ。
「わろし」の例は他にも色々あるだろうに(例えば、ゴミとか汚れとか)、なぜ唯一の「わろし」を、白き灰がちの炭にしたのか?という謎がずっとあった。
【2】宇宙人と地球人を友好的に描いて大ヒットしたスピルバーグ監督の映画「E.T」。
主人公の宇宙人は、茶色くて皺々で、見た目はわりとグロテスクだと思う。
それがさらにグロくなるのは瀕死の状態で川で発見される時だ。
茶色っぽいE.Tの地肌?が白くなり、粉をはたいたようになっている。
瀕死の表現として、なぜ全身を白くしたのか?
架空のキャラクターなのだから、小さく萎むとか、ただれていくとか、他にも表現のしようがあったはず。
以上が前置きで、これからこの二つの引っ掛かりが爆ぜます。
私は元々、火が燃えるさまを見るのが好きなので、キャンプでも薪や炭に携わっている時間が楽しい。
その時も炭火焼きのための火起こしをしていて、黒い炭がじんわりと赤くなり燃え続ける様子(画像上)を眺めて、うっとりしていた。
炭火は内側から赤々と発光しまぶしくて、でも優しく揺らいでいて、生きものみたいだった。
火が安定してくると落ち着きが出てきて、ぼんやりするのに都合がいい。
好きだな。
そんな風に燃えている炭火に愛情を感じたあと、炭火焼を堪能し、終えて火をそのままにしていたら、真っ白に(画像下)なっているのに気付いた。
あれ?なんか怖い。
あんなに赤かったのに。生きていたのに。
死んでる。
「白き灰がちになりてわろしだ…」とピンと来た。
このショッキングなギャップは、もう「わろし」以外の何者でもない。
清少納言も、もしかしたら、このショックを受けたんじゃないかと思った。
そして、白くなって生命活動が止まったようなこの炭の有様は、瀕死のE.Tの姿とも重なった。
あの、トラウマ級の不気味さになった瀕死のE.Tの表現が、この使い終えた炭を模しているとしたら。
異なる文化を持っていても全世界の人々に「終わった感じ」「命が絶える感じ」のニュアンスが伝わる、絶妙な表現だったのではないかと。
このわろしな、不気味な白い炭にゾッとしながら、ザザーっと頭を駆け巡った。
平凡に生きている私の、「わろし」に対する感覚が、時代を越えて清少納言さんのそれと重なったのではってことと、
使い終えた炭を生きてないように感じる感性が、スピルバーグ監督と同じなのではってこと。
私はこれ以上ない感情の高ぶりを味わったのだった。
「聞いて!私、清少納言とスピルバーグ監督と同じセンス持ってるわぁ!」
ビール片手に、家族を順につかまえ語っていった。