たんぽぽ仮面のタイムライン

言葉と絵とお酒にムズムズします

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f:id:retimeline:20210929060027j:plain年に数回、家族でキャンプに行くが、2019年のゴールデンウィークのキャンプは、私の一つの疑問が爆ぜて解決した、ドラマチックな経験をしたので忘れられない。

 

具体的に言うと、「枕草子」序段最後の「わろし」の謎と、スピルバーグ監督が瀕死の「E.T」の見た目をあんな風に描いた謎が、同時に解けたのだ。

 

私の一方的な解釈だけれど、この二つの引っ掛かりが解けたことについて長々と語りますので、以下、興味のある方だけお読みください。

 

まず、二つの引っ掛かりとは。

 

【1】かの有名な「春はあけぼの」で始まる「枕草子」序段は、自然物を対象に例を挙げ、「をかし」つまり、これが良い、これもめっちゃ素敵、と良いものを連発する。

そして、冬のくだりの最後になって唐突に「火桶の火も白き灰がちになりてわろし」(火桶の炭火も白い灰が多くなり良くない)と終わる。

良い、素敵、趣深い、と称賛を連ねてきて最後に良くないものの例が一つだけ出るのだ。

「わろし」の例は他にも色々あるだろうに(例えば、ゴミとか汚れとか)、なぜ唯一の「わろし」を、白き灰がちの炭にしたのか?という謎がずっとあった。

 

【2】宇宙人と地球人を友好的に描いて大ヒットしたスピルバーグ監督の映画「E.T」。

主人公の宇宙人は、茶色くて皺々で、見た目はわりとグロテスクだと思う。

それがさらにグロくなるのは瀕死の状態で川で発見される時だ。

茶色っぽいE.Tの地肌?が白くなり、粉をはたいたようになっている。

瀕死の表現として、なぜ全身を白くしたのか?

架空のキャラクターなのだから、小さく萎むとか、ただれていくとか、他にも表現のしようがあったはず。

 

以上が前置きで、これからこの二つの引っ掛かりが爆ぜます。

私は元々、火が燃えるさまを見るのが好きなので、キャンプでも薪や炭に携わっている時間が楽しい。

その時も炭火焼きのための火起こしをしていて、黒い炭がじんわりと赤くなり燃え続ける様子(画像上)を眺めて、うっとりしていた。

炭火は内側から赤々と発光しまぶしくて、でも優しく揺らいでいて、生きものみたいだった。

火が安定してくると落ち着きが出てきて、ぼんやりするのに都合がいい。

好きだな。

そんな風に燃えている炭火に愛情を感じたあと、炭火焼を堪能し、終えて火をそのままにしていたら、真っ白に(画像下)なっているのに気付いた。

 

あれ?なんか怖い。

あんなに赤かったのに。生きていたのに。

 

死んでる。

 

「白き灰がちになりてわろしだ…」とピンと来た。

このショッキングなギャップは、もう「わろし」以外の何者でもない。

清少納言も、もしかしたら、このショックを受けたんじゃないかと思った。

 

そして、白くなって生命活動が止まったようなこの炭の有様は、瀕死のE.Tの姿とも重なった。

 

あの、トラウマ級の不気味さになった瀕死のE.Tの表現が、この使い終えた炭を模しているとしたら。

異なる文化を持っていても全世界の人々に「終わった感じ」「命が絶える感じ」のニュアンスが伝わる、絶妙な表現だったのではないかと。

このわろしな、不気味な白い炭にゾッとしながら、ザザーっと頭を駆け巡った。

平凡に生きている私の、「わろし」に対する感覚が、時代を越えて清少納言さんのそれと重なったのではってことと、

使い終えた炭を生きてないように感じる感性が、スピルバーグ監督と同じなのではってこと。

私はこれ以上ない感情の高ぶりを味わったのだった。

 

「聞いて!私、清少納言スピルバーグ監督と同じセンス持ってるわぁ!」

ビール片手に、家族を順につかまえ語っていった。