〈わかめ〉
夏になる前、虫好きな子Aが、子Bの同級生の虫好き男児くんに、折り紙で作った蝉をあげた。
虫好き男児くんのママ曰く、以前2人で遊んだときに「夏になったら一緒に蝉捕りしようね」と約束したらしく
「だから、これは蝉捕りしようねっていうメッセージなんだと思う!」
と男児くんは喜んでいたと。その話を聞いて帰った日、子Aに
「蝉の折り紙あげたんだって?おまえは清少納言か」
と突っ込んだら、子Aは
「あぁ、ワカメね」
と可笑しそうに笑った。唐突なのにこういう会話が成り立つのが、長年共同生活をしたとか、数年来の付き合いがある、という人間関係を築く醍醐味だと思う。
めっちゃ嬉しくて、興奮する。
2020年春のコロナ休校のとき、清少納言の研究をしている人の本を読んでいた私は、とっつきやすい話をみつけたので、こどもたちに以下のエピソードを紹介していた。
清少納言が引きこもっていた時、その居場所を知りたがっている人が清少納言の元夫に「お前は清少納言の居場所を知ってるんだろう?教えろやァ」と圧をかけた。元夫はとっさに目の前のワカメを口一杯含んで「ワカメが口に詰まっているので今は喋れません」というのをアピールし、居場所を教えることを免れたらしい。
しばらくして、元夫が手紙で「またあの人から居場所を教えろと言われてるんだけどどうしよう」と清少納言に相談したところ、清少納言は返事としてワカメを元夫に送ったそうだ。(また前みたいにはぐらかしといてね、という言葉の代わりにワカメの現物のみ送った。)
もちろん夫との共通の話題は当然、連れ添った年月の分あるけれど、それとは別に、赤ん坊だったはずのこどもとの間で、共通の話題が増えていくのは楽しい。
最近では、鬼滅の刃の考察をあーだこーだ言い合うのも楽しい。
そしてそれは、私のハマっていることやマニアックな趣味を、まっさらな子どもにインストールするようで、後ろめたくもあり、同じオタクを生産するような愉快さもある。
今日、クリープハイプの「栞」の歌詞が天才的なんだよということを、夕飯時、YouTubeで曲を流しながら語った。
本になぞらえた失恋のストーリー、別れのシーンの描写、無駄のない比喩。
【桜散る桜散る ひらひら舞う文字が綺麗
「今ならまだやり直せるよ」が風に舞う】
分かる?桜の花びらが散る様子と、今まで紡いできた2人のストーリー・思い出が詰まった本から、文字がはらはら散っていく様子。終わるんだよ。
「今ならやり直せるよ」が風に舞う、んだよ。言えなかったのか、言えたとしても、相手には届けられなかったんだよ。
【初めて呼んだ君の名前 振り向いたあの顔
それだけでなんか嬉しくて 急いで閉じ込めた】
名前を初めて呼ぶって、意味が分かる?まだ分からないかな。きっとドキドキするのよ。今まで◯さんだったのを名前で呼ばれて振り向いた君の姿を、急いで閉じ込めた、んだって。
本にエピソードを閉じ込めたのか、主人公の心の中にひっそり記憶として閉じ込めたのか、物理的にこう、抱き締めたのか。
ビール片手に私が熱く話したからか、空気を読む子Aは最後に
「言葉選びのセンスがいいと思った。花びらを文字に例えるところとか。…がんばって歌詞を覚えるね」
と言ってくれたし、子Bは
「お母さんがYouTube一個観たから私も一個観るね」
と言っていた。
▶︎クリープハイプ「栞」