〈ことば貯金〉
ショーケースに並ぶ煌びやかなケーキの中から、どれにしようかといつも悩むけれど、結局前に食べて美味しかったものをまた頼んでしまう。
私は、読書は好きだけどあんまり沢山の作品を知らない。
新しい作家や作品を開拓するぞと思っても、結局前から好きな作家の作品を選んだり、同じ作品を何度も読んでいることが多い。
ケーキと同じ。
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本を読んでいると、出来事や気持ちに名前が付くことがある。
経験したけれど処理しきれず、モヤモヤしたまま心の底に沈殿していた感情が、手元の本の中に書いてあることに気付く。
言語化されているのを読んで、ああ、あの時はこういう事だったのか、こうやって言えばいいんだ、と納得する。
すると、名前のなかった感情は形になって成仏していく。ぞわっとして気持ちが良い。
もし、上品なお年寄りを前にしてあぁ素敵だなと思ったとする。
けれど私が「上品な」という単語を知らなかったとして、それを人に伝えたい場合、私は自分の知ってる単語で近いものを探して使うと思う。
「今日ね、バスの隣に座った人がとても『ゆっくり』したお年寄りで……」
となるだろう。
動作がのんびりした人というのは伝わるけど、品の良さと捉えるか、ぼーっとしていると捉えるか、聞き手のイメージのお年寄り像がブレる。
だったらやっぱり、「優雅」「エレガント」「品のある」「しとやか」など出来るだけ知っている方が正確に伝えられるから、私はその方が便利だなと思う。
ならば、多様な語彙を自分のものにするためには、言葉を商売道具にしている作家さんを参考にするのが手っ取り早いな。
だから読書には、自分のなかにことばの貯金をするという意義もあるんだろう。
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田辺聖子さんの作品中「めためたと」うちとけるというシーンがあって、なんとなく気に留めていたら、実生活で私も「めためたと」溶けて馴染んでいくような出来事があった。
「これだ!これが『めためた』だ!」
と私は密かに興奮した。
ことばを先に知っていたから、その状況をより密度濃く実感できたんだなと思っている。