〈ヘラルボニーの記念展@東京・京橋〉
「BAG-Brillia Art Gallery-」という新しいギャラリースペースが、2021年10月京橋にオープンした。そのこけら落としとなる「ヘラルボニー/ゼロからはじまる」という展覧会を観てきたので、忘れないうちに感想を書き留めておこうと思う。
この展覧会では、ヘラルボニー(HERALBONY)が2018年に創設されるまでのストーリーと、そこからの事業展開の様子が、アーティストの作品や商品とともに展示されていた。
会場内は、アーティストのカラフルな作品で飾られて色鮮やかな空間。
以前の記事で、ここのアーティストが描いたものを「眺めていると時間を忘れて吸い込まれるようで、いつの間にか背後に妖艶な魔女が近付いてとって食われそう」と書いたが、実際に、一つ一つの作品を味わうのにすごく時間がかかったし、その間に原画から手が伸びて来て取り込まれそうなほどに、作品は熱を持っていた。
作品をつくっているアーティストたちには、「良く思われよう」「上手いと言われたい」などの雑念はないのだろうと感じた。人間が生活のなかで無意識に息を吸って吐くように、お喋りするように、物思いにふけるように、アーティストが人生を過ごす時間の痕跡としてできた作品なのだろう。
フォントのような整った文字の形。書きたいことを頭の中で作文しながら、一文字一文字を印刷物のような完成度で書き、決まったスペースに全文を収めるって、ええ?!!驚きが止まらない。
アーティストの原画も展示されていた。原画のそばには、使用した画材が表記されているのだけど、「その画材でこういうのが描けるの?」と戸惑った。「え?プラスチック鉛筆で描いたの?クレヨンじゃなくて?」混乱しながら作品をまた眺める。アーティストにかかれば、画材の可能性をも超えてしまうのか。
はぁ。天才。(感動しすぎて語彙が貧弱になる)
『よく思われたい』『上手に描きたい』という思惑のない作品に対する敗北感は、子が3歳のときに既に感じていたことだった。
当時子と、空き容器に紙粘土を貼り付け乾かし、花瓶を作った。私はこどもの頃図工が得意だったので、我が子に「すごい」と言われたくて、絵の具で抽象的な模様を描いた。子は、初めて扱う絵の具がパレットの上で混ざり合うのを味わいながら、一色一色の色合いを確かめるように、一筆ずつ、ゆっくりと点を重ねていった。
そのたびに子は「わぁ」とか「きれい」とかつぶやいて確かに何かを感じていた。反応が瑞々しくて、羨ましい。
早々に自分のぶんの「それなりの作品」を仕上げてしまった私は、あまりに筆の進みが遅い子にだんだんイライラしてきて、子が絵の具をラグにこぼした時に怒ってしまった。怒ったあとで、ハッとした。しまった。すごくいい時間だったのに、いいものを作っていたのに、私がぶち壊してしまった。子は悲しそうにうつむいていた。
やってしまった、作品への意欲までをもぶち壊してしまったと後悔して泣けてきて、子に「ごめんね」と謝っても、子は「もうやめる」と言い、再び取り掛かることはなかった。
子の制作していた花瓶は、私のせいで未完成なものとなってしまった。けれど、並べて飾った時に、子の無垢な花瓶の色付けにはやっぱり「敵わないな」と思った。自己主張の強い自分の描いた模様が恥ずかしくなって、自分の描いた分は捨ててしまった。
「アート」って言われると得体が知れず小難しく感じるけれど、ヘラルボニーのアーティストが生み出す作品はその人の思考の分身なので、それを味わうだけでもホームページを覗いてみてほしいです。別に私、ヘラルボニーの関係者とかじゃないけど、とてもいいから。とにかくスゴイから。
▶ヘラルボニー(HERALBONY)
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