〈音痴〉
学生の頃、バーテンをしている知人のお宅に友達とお邪魔して、自分達の好きにカクテルを作って飲ませてもらった。
妻さんが七色のグラデーションになっているゼリーを作ってふるまってくれて、そのお皿を私達はぷるぷる震わせて「震度3」「震度5」などと言って笑っていたら(遊んでないで早う食え)、本当に地震が来て帰りの電車のダイヤが乱れ、振替輸送に乗り友達と路線図を見上げてあーだこーだ言いながら帰った。
そのバーテンの知人は、時々、バーカウンター越しにお客さんのかなり絶望的な話の聞き役になることがあるらしかった。
そうなった時は、淡々と仕事をこなしながら、親身でなく、でも素っ気なくもない距離感で相槌を打つことに徹するらしい。
自分の発した
「そうですか」
のニュアンス次第で、その客に死を決意させてしまうかもしれないからだと言っていた。
冷静に考えると、見ず知らずのバー店員の反応だけが人を死に追いやることはそうそう無いと思うけど、後の引き金の一つには繋がるかもしれない。
もしくは、お客さんの心の容器におりのように沈殿しギリギリになっていたものが、その一言で溢れ出すかもしれない。
誰かの死にたい願望に手を貸すのは嫌だ。
レスポンスが下手くそなバーテンは、うっかりそれをしてしまいかねないってことか。
私は今朝、たまたま目に入った「坊主の読経が音痴だった。」というのが面白すぎて、ふと思い出しては今日この一文だけでもうずっと笑っていた。
人の死に関わるバーテンとお坊さんは、抑揚を上手に操れる人の方がいい。