たんぽぽ仮面のタイムライン

言葉と絵とお酒にムズムズします

〈編集〉

編集者の方と仕事をさせてもらった事が、ほんのちょっとだけある。編集者というお仕事の一部を垣間見ることができ、この職業はすごいと思った。

初めて関わったのは、自殺予防の目的で企画された詩集に寄稿した時だった。商用の出版物なので、ビジネスで物書きをしたことのない私は、心配事だらけだった。契約前に、責任編集のAさん宛に、完成形には程遠い作品案を添付し

「書きたいものはあるんですけど、添付したとおり本格的に詩を書いたことがありません。詩人さんの中に素人の私が参加して良いものか不安があります。」

と相談した。しかも締切まではタイトなスケジュールだった。なので、Aさんが作品案をご覧になって掲載レベルまで持っていくのは大変そうだと判断したら、遠慮なく参加を断ってほしいと伝えた。すると、Aさんの返答は驚くほどあっさりとしたものだった。

「大丈夫です!詩人と名乗れば、その時点で誰でも詩人ですから!」

びっくりした。大変心強く、(好意的な意味で)なんて適当なんだろう。

Aさんは強い信念のもとこの詩集を企画していたので、それに賛同して興味を持ってくれた人は受け入れたいという思いがあったのだろう。

それにしても、はじめての者をすんなり受け入れてくれる懐の深さと温かさよ。受け入れただけでなく、Aさんは私の稚拙な詩に真摯にご助言してくださり、拙い詩作品は導かれるようにしてなんとか形になったのだった。

寄稿した2編のうちのひとつ。挿絵も描いた。

編集というのは、紡がれたものを再構成する作業だ。気を遣うし広範な知識のデータベースが必要だろう。のみならず、私がぎこちなく紡いだボコボコの編み目を、うまい具合に「味」となるように、書き手の個性が失われない程度に、必要最低限のお手入れだけして体裁を整えてくれるとは。ワンダホーである。

二度目は、とある媒体の記事を書いていた時。

編集者Yさんは、私が初稿や挿絵のラフを送った後のレスポンスが毎回、早かった。

必ず一番はじめに、抱いた感想を伝えてくれた。書き手としては素直に嬉しいし何より安堵するし、なるほどこう受け取ってくれるのかという学びにもなる。その上で、構成をこうした方が分かりやすいとか、最後に一文加えると締まるとか、具体的なアドバイスをくださった。

ふりかえると、書き手の私よりも編集者さんたちの方が、言葉を選び取って表現し尽くしていたと思う。書き手に「修正を伝える」「意図を伝える」という目的のために、言葉を、ふんだんに使ってくださった。その読者は私しかいないにも関わらず。

何よりも私は、作品を通してのやり取りの中で、ありがたくも受け取る経験ができたのが幸運だった。こうして何年も忘れられないほどに、心の中にとどまる言葉、花束のようにコストがかかった言葉を。

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私たちは普段、心に浮かんだ感情や起きた出来事を知っている言葉に変換して、表出している。でも、あるものをそのまま表出する前にいったん【編集】する、そのスキルを身に付けられたら、コミュニケーションは今よりスムーズになるんじゃないか。

ここで、リモート会議をする夫の声が隣から漏れ聞こえてくる。説明やお願いの言い回しが、ぬかりがないし流暢だなぁと感心する。

打ち合わせがひと段落したようで、リラックスした空気が流れたと思ったら、開口一番、夫がPCの向こうにいるお仲間らしき人に

「さっきの押しの一言よかった、助かった。ありがとね。」

と言った。夫はきっと、【編集】できるタイプの人だ。こうやって息をするようにやれる人もいるし、やらない・気にしていない人もいると思う。

けど私は今まで接してきた編集者のお仕事ぶりのように(手前味噌だけど夫のように)、【編集】された言葉も使えるようになりたい。

編集。その為の多彩な語彙の獲得、多様な感情体験、受取り手に対する想像力。それが私の課題。

 

★追記★

記憶に限っては私もやれているのではないか、編集。
だってイタイ思い出も、恥ずかしい思い出も、ネガティブな出来事はすべてネタになるように、都合よく記憶を【編集】している。
面白いとこだけ抽出しといてあとは廃棄、だから、色々とやらかしたくせに、平然と生きていられるのでは。
特技、記憶の編集。改ざんともいう。