たんぽぽ仮面のタイムライン

言葉と絵とお酒にムズムズします

〈苦手なもの?バスですかね〉

f:id:retimeline:20211201221248j:plain勤めているとき、通勤にバスを利用していた。職場からの帰り道、後ろから名前を呼ばれて振り返ったら、同期のOが居た。新人研修以来会っていなかったので、「そっちはどう?」という話で盛り上がり、一緒にバスに乗り込んでからもずっとお喋りをしていた。話の途中でOが突然、

「私、次で降りるんだけど。たんかめはこのバスで良かったんだっけ?これA駅行くの?」

と聞いてきた。え?え??

「知らん」

乗る前にバスの行先確認してなかったや、と言うと、絶句していたOであった。

これは結構良くあることで、話に夢中になっていると、行き先を見ないでバスに乗り込んでしまう。以前友人M子と某社会人サークルの稽古に行くとき、その日もやっぱりバス乗り場で2人夢中になって喋っていて、目の前にバスが来たから自動的に乗り込んだ。

その停留所からは、行先の違う2本のバスが出ているのに2人とも確認はしなかった。案の定私たちは、乗るはずのK駅行きバスではなく、もう一つのT駅行きバスに間違って乗っていた。

「次は終点、T駅です」

とアナウンスされるまでどちらも気づかなかった。それどころか、

「今日、Y先生来るんだって!」

「わーい楽しみー!やっぱ、先生が来るとなると見慣れた風景も違って見えるね!」

などと話していた。いやいや、実際に、違った風景ですからね。サークルのメンバーに「乗り間違えてT駅についちゃったので遅刻します」という謝罪の連絡を入れたM子からは

「あんたとの思い出はもう沢山だよ」

と言われた。あれから14年経っているけどいまだに笑えるんだよ。

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↓あふれるM子への重い思い

〈デザインってなんだ?〉

大学生の時に初めて、仕事としてデザインや絵を描かせてもらった。

私は描くといっても紙に筆記用具でしか描いたことがなかったし、専門的に学んでない素人だし、何をどうすれば良いのか全くわからない。そんな状態で初めての仕事となった。ご一緒させていただくシステム会社のFさんから「パソコンで絵を描けるようになったほうが良い」と勧められ、教えてもらいながら何とか、手描きベースの絵をデータ化できるようになった。

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初めてパソコンで描いた練習絵(2006)painter
「簡単に加工・修正が出来て便利!」が感想

びっくりするほど知らないことだらけの私には、フォルダの作り方から始まり、ファイル名を半角英数字で保存日時を入れて保存すると便利とか、ラフをプレゼンするときの書面では案と案の隙間を等間隔にするとかその揃え方とか、初歩の初歩から教えていただきながらやっていた。(そんな状態の私にお仕事のチャンスを恵んでくれた方には感謝してもしきれない)

そのFさんとは数回対面で打ち合わせる以外は、もっぱらメールのやりとりだった。筆まめな方で、業務連絡以外のデザインに関することもメールで教えてくれた。

「デザインにはすべて意味があります。なぜそのフォントを使うのか、なぜロゴのPの縦棒だけを長くしたのか、なぜその色にしたのか。見た目の問題だけではなく、全てに意図があってそうしています」

有名なところでいうと、例えば、Amazonのロゴ。

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ニコッとした顔に見えるがよく見ると口に当たる部分が矢印だ。矢印はAから向かってzを指していて、つまり「AmazonにはAからZ、すべてのあらゆる商品を取り揃えていること」を意味している。このように、良いデザインには情報が詰まっていると言うのだ。

Fさんのメールを受けると私なりにその内容を噛み砕き、返信で自分が言いたいことを適切な言葉にするため辞書を引く。だいたい長文になった。ある時、メールに

「たんかめさん、デザインて、人を幸せにするためにあるんだよ」

と書かれていた。その時ちょうど、ダイエット中の私が0kcalのブラックコーヒーだと思い込んで缶コーヒーをジャケ買いして失敗したところだった。飲んだあと裏の成分表示を見たら「9kcal」とあり、少量ミルクが入っていたから憤慨していたのだ。「紛らわしい、こんなんパッと見ブラックコーヒーじゃん!9kcal摂取するなら飲料じゃなく飴舐めるわ!」と心の中で叫んでいた。

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当時の恨みがましい記録。笑

私は缶のデザインにこんなに怒っているのに、デザインが人を幸せにするってどういう意味だ?人を惑わすためにデザインがあるわけではない?怒らせるためでもない?改めて、私を9kcal分太らせたその缶コーヒーを見た。デザイナーが、なぜこんな一見ブラックコーヒーぽい仕上がりにしたのか考えた。

落ち着いて改めて見たら、ちゃんと、白い、ミルクを感じさせる模様がちりばめられていたのに気づいた。缶の色は全面黒色だと感じていたが実は上部に白いライン、下部に白い格子柄があるし、黒基調を邪魔しない程度にさり気なく「with milk」って書いてある。ちゃんとミルク入りを仄めかせていたデザインだった。やられた。だまされたと思ったときは悔しかったけど、あとから手品のタネをあばくように感じ取る作業は楽しかった。こんなに人を惑わせといて缶コーヒーの名前が「STRAIGHT」かよ!と突っ込んだ。

「たんかめさん、デザインというのは『解釈』だと思うんですよ。

解釈、ですか?絵が上手いとかセンスがあるだけじゃ成り立たないですか?

「センスというより『理解』ですね。どう感じたか?を定着したものが作品ですね。どう受け取ってほしいか?までを含めるとかなり良いものになります」

メールの表現にハッとすることが多い。「Fさんて思考を言葉に変換するのがすごいですね。いつもビタッと合う言葉で言い表していて」と返事をした(立場が上のひとに対して不躾な物言い)。

「システムを作ったり、クライアントと打ち合わせをするときに使うツールは結局、"言葉"なんですよね」

ほほう。豊かな語彙を手に入れれば、インプットのための『理解』が深まり、アウトプットのための『説明』『表現』がレベルアップするのかな?

じゃあ、会話ってデザインみたいだと思った。心の中で考えている形のない物を「言葉」に当てはめて、自分以外の他者に発する作業。(その受け手は自分である場合も多いけど)

「良いと思います」「それ最高です」「大賛成です」「こういうのを待っていました」「○○の部分が良い、△にするのは自分では思いつきませんでした」

良いと思ったとき、どれを使おう?この作業は、言葉のデザイン。デザイナー(私)の力量(表現力)によって、商品(自己像、アイデアへの見方)が変化する。相手に与える印象が変わる。だから私はもっと、使える語彙を増やしたいのだなぁと思った。的確に感情を伝えるために。

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完成した練習絵。データが残っていない(汗)

私はそれまで趣味として、自分の満足のためだけに絵を描いていた。一方でデザインは、受け取り手がいる。受け手に意図を誤解なく伝えたり、分かりやすく表現したり、受け手に感じ取る楽しみをゆだねたり。時には仕掛けをしのばせて、無自覚に行動を促すことだってある。

ひょっとすると、"好きなこと"も人生が仕掛けた大掛かりなデザインかもしれない、と思う。未来の自分が、こどもの頃の自分が引っかかるように所々に仕掛けをしているのではないか。

私の場合、幼いころからの趣味や興味は、お絵かき、演劇、文通、作文、書道、接客、社会心理学など。どれも"好きなこと"だったけれど、自分が乳幼児育児をしている時だけ、それらに情熱を全く感じられなくなってしまって愕然とした。好きだったはずのものがこのまま無くなって、この後"好きなこと"に没頭できないまま寿命が尽きるのかなと思ってショックだった。

でもそうやって一時期何も感じなくなったことが、実は息をひそめてちゃんと生きていてくれて、子育てが落ち着くにつれまたカチコチと回りだした実感がある。しかも、かつては小さな点だったものが、年月をへてつながり絡み合って、多少なりとも血肉になっていると感じる。意外な場面で役立つこともあるし、充実の源にもなっている。

"好きなもの"って、一生大事なんだ、付き合っていけるものなんだ。それに気づけて嬉しい。未来の私が「こっちおいで」と呼んでいる気がする。人を幸せにするデザイン。

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〈関連記事〉

↓語彙を増やす=ことば貯金をしている話。

↓言語だけがことばじゃないと思った話。

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〈テタカカ コカテカタップ!〉

タップダンスをしている友人に誘われて、タップのステージを観に行った。タップの先生が使っていたスタジオのあるビルが残念ながら取り壊されることになったらしい。だから今回のステージは、このスタジオでタップを学び今やあちこちで活躍しているダンサー7人が、感謝をこめて「スタジオ」に贈るタップライブとのことだった。

ライブといっても、普段練習に使うビルの地下室(スタジオ)をステージにしているから、舞台装置はごくごくシンプル。客席も、椅子やクッションを並べて作ったものだった。

でも、構成のセンスがよかった、素晴らしかった。映像も洒落ていて、観客を飽きさせない工夫と遊び。お金のかかった劇場でやれば良いものが作れるとは限らない、空間は演じ手がいかようにも変えられるってことを改めて認識できた素晴らしいステージだった。

千秋楽なのも相まって、ダンサーのテンションは最高潮。観客の視線と笑みをぐいぐい引き出してくる。スタジオへの愛情と、支えてくれた周りの人への感謝がひしひしと感じられて、もう、関係ない私まで一緒になって「今までありがとう!」という気持ちになった。こんな素敵な才能を育んだスタジオに、感謝。

生のライブで何が好きかって、出演者同士の目配せが好き。もっと配りあって!と思ってみている。いいよなぁ、通じ合っているという感じで。最高に楽しいんだろうな。

そんなワクワクを受け取っていたら、タップシューズから生まれてくる音が、ことばで聞こえてきて「ん?」と思った。これを体験している人はきっと沢山いるのだろうけど、私は初めてだったのでドキドキした。タップのステップの音、早口言葉みたいですよね?

有名な外郎売の早口言葉「ぶぐばぐ ぶぐばぐ みぶぐばぐ」って突然聞こえて。あれ?と思ったらそれ以降はもう、そういうふうにしか聞こえなかった。

でも、ことばなんだけど音楽みたいで。ん、逆かな、音楽なんだけど、ことばみたい?音で会話しているみたい。音からことばを感じた。言っている意味は分からないけれど(だって、テカタカテカタカ、テム、テカトカ、テムカカトカ!って言われても。)でもなんだかことばに「感じる」。

タップをする人は、この「感じ」にハマるのかなぁ。ことばを伝える道具は、手と口だけじゃないんですね。

〈→その矢印はどこを指す←〉

学生時代にお世話になった恩師・K先生。在学中、研究室の引越しのため、書籍を学生・院生に譲っちゃうよコーナーが設けられた。研究室の本棚にびっちり詰まった書籍の中から「ほしいのがあれば好きに持って行っていいよ」とおっしゃるのだ。

先生が他大学へ移ってしまうのは残念であったが、私は先生の蔵書をいただけるという機会に内心興奮した。

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私は「社会学の基礎知識」(有斐閣)を選んだ。理由は2つ。社会学研究の基礎項目が網羅され解説されている本であること(今後役立ちそうだから)。2つ目は、見た目が好みだから。朱色の表紙、黒いインクがかすれた明朝体のタイトル。ページがいい感じに茶ばんで年季を感じさせる。さらに、裏表紙に直筆で先生の名前が書いてあること。所有者、しかもその道の研究者の痕跡が残る書籍をいただけるなんて、こんな貴重な機会はない。誰かが大切にしていたものを引き継ぐということへの感慨と、これが自分の本棚に並ぶと一気に学生っぽくなるのではというワクワク感(チャラい理由だ)。

卒業してからも、先生とは細く緩く、お付き合いを続けさせていただいている。

「矢印」を研究したK先生の論文を拝読したのは、つい最近のことだ。

日本は矢印大国だ。意識してみると、あちこちに、方向を示し行動を促すための矢印が散見している。駅、バス停留所、役所、ショッピングセンター、エレベーター、ごみ箱etc.

東京メトロの駅構内で、「○○線」の文字の隣の、"U"を逆さまにしたような山形の矢印に惑わされたことはないだろうか。私はある。Uターンするのか、逆方向なのか、少し前進して後方へ戻るのか。初めてだと全くわからない。方向音痴を極めている私は、都心の構内で右往左往して結局駅員さんや道行くご婦人に尋ねることになる。ホームの階段のそばの「○○線↑」表示が「階段をのぼれ」を指すのか「のぼらずホームを直進」を指すのか、私にはいまだにわからない。矢印は、デザイナー泣かせだ。

でも逆に、矢印をうまく配置するとスムーズに行動を促せる。論文では、ジュース販売スタンドのごみ箱の、ごみ分別を促す矢印表示のビフォー&アフターが載っていた。矢印の配置、色、文言、それらを上手くデザインすればユーザーの行動が変わる。面白い事例だった。

また、辞書では味気ない説明しかされていないと先生が嘆いている「矢印」だが、学生の本分を示唆する「人生の道案内」的な使われ方をしている例も論文には記載されていた。先生は、ひそかに「人生の矢印」と呼んでいたという。

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川浦康至(2016)「矢印はすすり泣いている:記号の楽しみ2」コミュニケーション科学44,91

大学へ通う学生たちが、駅反対側にある魅惑のパチンコ屋に向かわず駅へ直行するために・それを見守っている地域住民の視線を感じさせるために、こうデザインされたのだろうか。

そう考えながら矢印論文を読んでいたら、思い出したことがある。

大学生の時に、ひょんなことからデザインのお仕事に関われることになった私は、まだ鉛筆やペンでしか絵を書いたことがなかった。でも幸運なことに、一緒にそのお仕事をさせてもらうシステム会社の社長さんがとても親切な方で、パソコンでの絵の描き方を教わったり、デザインについて色々な考えを教えてもらえた。その方とのやりとりのなかで

「たんかめさん、デザインって、人を幸せにするためにあるんだよ」

と言われたことがある。デザインが、人を、幸せにする???(これについての解釈は別の機会に書くとして。)

論文に出てくるこの「人生の矢印」の看板は、単に大学から駅への道順を示してあるだけではない。「大学生の身分でいられる貴重な期間の"充実"とはなにか」つまり「自分が"幸せ"を感じるためにどう行動すべきか」を投げかけるデザインだと思う。パチンコを悪者にする訳ではないが、パチンコで失ったお金と時間は戻らないから、代わりに矢印の先に向かおうと呼びかけているようだ。

道案内を模したから「駅」とあるのだろうけど、そこは「図書館」「バイト」「ひと」「目標」でもなんでも、各々が学生生活を幸福なものにするための言葉が入るんだろう。

今日ちょうど読了した小説「舟を編む」(三浦しをん・著)の主人公・辞書編纂の編集部主任 馬締光也さんがこの研究論文を知り、新しく編む辞書に「矢印」の解説を載せるとしたらなんと載せるのだろう。そしてその「矢印」の項をK先生が執筆担当するとしたら、なんて書くのだろう。

SNSで「←」と文末に書くと自分で自分にツッコミをいれたニュアンスになる。例えば「今日も俺は天才←」のように。この用例も辞書に載せますか?「現代用語の基礎知識」向けかな?こうして、空想が頭を巡る。

★★★

たんかめは馬締のデスクに足早に近づくと原稿を渡し、こう切り出した。

「馬締さん、『矢印』の語義に2と3を加えたいと思うんです」

‐‐--‐‐‐‐‐-‐‐--‐‐‐‐‐-‐‐‐‐‐

や-じるし【矢印】1 方向・道筋を示すための、矢の形をしたしるし。2 目線を目標物に転じさせる仕掛け。3  「なんちゃって」の意。

‐‐--‐‐‐‐‐-‐‐--‐‐‐‐‐-‐‐‐‐‐

馬締は表情ひとつ変えず、原稿に目線を落としたまま口を開いた。

「たんかめさん、用例採集カードには、2と3は載っていますか」

「いえ、すみません自分で勝手に考えました。」

「これでは原稿の精度としては不安が残ります。K先生に至急確認をとってください」

「はい!行ってきます!」

たんかめは自分のデスクに戻り鞄をひったくるようにして、勢いよく編集部を出た。馬締も再び誤植のチェックに戻る。「なんちゃって、か」馬締は大きく伸びをしながら急に色付いた窓の外の紅葉を眺めた。

★★★

ワインのおかわりが続く限り、私の空想はとまらない。

 

↓↓論文はこちらから↓↓(あ、矢印だ)

▶︎矢印はすすり泣いている:記号の楽しみ2 (川浦康至)

http://hdl.handle.net/11150/10845

researchmap.jp

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〈ヘラルボニーの記念展@東京・京橋〉

 「BAG-Brillia Art Gallery-」という新しいギャラリースペースが、2021年10月京橋にオープンした。そのこけら落としとなる「ヘラルボニー/ゼロからはじまる」という展覧会を観てきたので、忘れないうちに感想を書き留めておこうと思う。

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「+1」スペースの展示の様子。※撮影可の展示物です

この展覧会では、ヘラルボニー(HERALBONY)が2018年に創設されるまでのストーリーと、そこからの事業展開の様子が、アーティストの作品や商品とともに展示されていた。

会場内は、アーティストのカラフルな作品で飾られて色鮮やかな空間。

以前の記事で、ここのアーティストが描いたものを「眺めていると時間を忘れて吸い込まれるようで、いつの間にか背後に妖艶な魔女が近付いてとって食われそう」と書いたが、実際に、一つ一つの作品を味わうのにすごく時間がかかったし、その間に原画から手が伸びて来て取り込まれそうなほどに、作品は熱を持っていた。

作品をつくっているアーティストたちには、「良く思われよう」「上手いと言われたい」などの雑念はないのだろうと感じた。人間が生活のなかで無意識に息を吸って吐くように、お喋りするように、物思いにふけるように、アーティストが人生を過ごす時間の痕跡としてできた作品なのだろう。

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創業者の松田さんのお兄さんが書いていた日記。

フォントのような整った文字の形。書きたいことを頭の中で作文しながら、一文字一文字を印刷物のような完成度で書き、決まったスペースに全文を収めるって、ええ?!!驚きが止まらない。

アーティストの原画も展示されていた。原画のそばには、使用した画材が表記されているのだけど、「その画材でこういうのが描けるの?」と戸惑った。「え?プラスチック鉛筆で描いたの?クレヨンじゃなくて?」混乱しながら作品をまた眺める。アーティストにかかれば、画材の可能性をも超えてしまうのか。

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「ヘラルボニー」の版木?に様々なキズや模様がつけられ、会社案内の表紙に使われている

はぁ。天才。(感動しすぎて語彙が貧弱になる)

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「撮影OK」「お手を触れないでください」のサインもかわいい

『よく思われたい』『上手に描きたい』という思惑のない作品に対する敗北感は、子が3歳のときに既に感じていたことだった。

当時子と、空き容器に紙粘土を貼り付け乾かし、花瓶を作った。私はこどもの頃図工が得意だったので、我が子に「すごい」と言われたくて、絵の具で抽象的な模様を描いた。子は、初めて扱う絵の具がパレットの上で混ざり合うのを味わいながら、一色一色の色合いを確かめるように、一筆ずつ、ゆっくりと点を重ねていった。

そのたびに子は「わぁ」とか「きれい」とかつぶやいて確かに何かを感じていた。反応が瑞々しくて、羨ましい。

早々に自分のぶんの「それなりの作品」を仕上げてしまった私は、あまりに筆の進みが遅い子にだんだんイライラしてきて、子が絵の具をラグにこぼした時に怒ってしまった。怒ったあとで、ハッとした。しまった。すごくいい時間だったのに、いいものを作っていたのに、私がぶち壊してしまった。子は悲しそうにうつむいていた。

やってしまった、作品への意欲までをもぶち壊してしまったと後悔して泣けてきて、子に「ごめんね」と謝っても、子は「もうやめる」と言い、再び取り掛かることはなかった。

子の制作していた花瓶は、私のせいで未完成なものとなってしまった。けれど、並べて飾った時に、子の無垢な花瓶の色付けにはやっぱり「敵わないな」と思った。自己主張の強い自分の描いた模様が恥ずかしくなって、自分の描いた分は捨ててしまった。

「アート」って言われると得体が知れず小難しく感じるけれど、ヘラルボニーのアーティストが生み出す作品はその人の思考の分身なので、それを味わうだけでもホームページを覗いてみてほしいです。別に私、ヘラルボニーの関係者とかじゃないけど、とてもいいから。とにかくスゴイから。

f:id:retimeline:20211113112534j:plain▶ヘラルボニー(HERALBONY)

https://www.heralbony.jp/

 

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〈ヘラルボニーでのお買い物〉

以前の記事↓で、ヘラルボニーのアーティストの原画が見たいと書いた。

中央区京橋に期間限定の展示会があることを知ったので、原画が観られるかもしれないと思い、行くことにした。

「BAG -Brillia Art Gallery-」内の片方の部屋「+1」にギャラリー、もう片方「+2」にヘラルボニーの商品を取り扱うショップがある。

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ギャラリーで感じた事柄は長くなりそうなので改めて書くとして、今回はショップの方の話を。
 
やはりネットの画面越しに見る商品と、実物は違う。
1人だけ居るショップスタッフの若い女性が声をかけてくれたので
「オンラインショップで候補を絞って来たんですけど、スマホの画面越しに見るのとは絵の雰囲気が違いますね。めっちゃ迷います」
と話した。その後お客さんが何人か来ては帰り、また来ては帰り、客は私1人になったけど商品棚を行ったり来たりしながらまだ迷っていた。スタッフさんはレジのカウンターでパソコン作業をしながら、ウロウロしている私を放っておいてくれた。
結局、候補のものとは全く違う柄のハンカチと、予定になかったコースターを買った。

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丸形コースター:八重樫道代さん「おりがみ」
ハンカチ:佐々木早苗さん「(無題)」
お会計の時、レジの後ろ側の壁面に金縁の額に飾られた絵があったので
「あれは原画ですか?」
とスタッフさんに聞いたら、彼女は
「実はハンカチを額に入れただけなんですよ!アイデアですよね。和室にも洋室にも合います」
と笑った。その話しぶりから、この会社や商品にしっかり想いがあるんだなと感じた。
「あの、お姉さんは、ヘラルボニーの社員さんですか?」
「あ、私はインターンです。」
「うわあ!」
私は思わず大きな声が出る。
「いいなぁ羨ましい!ヘラルボニーのインターン生募集の要綱見ました!大学3〜4年生対象のですよね。本当に羨ましい。いい選択しましたね!」
一気に捲し立ててしまって
「大学3年です。今、採用も募集していますよ」
とニコニコ答えてくれた。
 
購入した商品を受け取るとき、ヘラルボニーのリーフレットも一緒に渡してくれた。
私が以前別のお店で見つけた時とは違う折り方で、A4の紙が真ん中で半分に折られていた。
ロゴが中央に来るシンプルなデザイン。開くと、ひしめくカラフルな絵。

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これもいいんだけど、この折り方にするとAppleSONYなどの超有名企業のような強気なデザインになるなと思った。
この半分に折られた状態で机やリーフレット棚に並んでいたとして、興味を持って手に取れるのは、これをヘラルボニーだと分かる人だけだ。
中面こそ開いて見てほしいのに、何を扱うブランドか何の会社か、表紙からだけじゃ推測しづらいし、「手に取る」から「中を開く」までもステップが遠い。
 
広く一般にアピールするなら、横から2番目と3番目の絵の境目を折る方が良い。
これだったら、平置きされていてもチラっと見えるカラフルな柄と「異彩を、放て。」のコンセプトとロゴを一目で見られる。何より、絵が折られないのが良い。絵を折るのは、なんだか痛々しい。

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表紙からチラっと覗くカラフルな柄が気になって開くと、全体的にヘラルボニーのアートが広がり、右下の小さい文字の会社説明文にまで目を転じてもらえる。この動線を仕掛けるズラし折りをする方が、ヘラルボニーという会社がより認知されやすいのではないか。
 
私はそう思っていたから、真半分に折られたリーフレットをレジのカウンターに置いてそのスタッフさんに話し始めてしまった。
「このリーフレットを作った方はすごいですね。以前●●(店の名)でこのリーフレットが、こうやって折られていたんです。」

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「絵に折れ目がつかないようにここで折ると、ちょうどこんな風に、絵が少し見えるようになって、異彩を放てのコンセプトも見えるんですよね。自然と中も見たくなるから、このデザインを考えた人、天才だなって思って。どなたが作ったんですかね、もしご存知でしたら感動しましたと伝えてほしいです。」
もう、私は完全なる変人だな。おかしな客が来て迷惑だろうか。ど素人が折り方にこだわってうんちく垂れてる。でもでも、このデザイン天才って言ってた人がいましたよって事が作り手に届くといいなぁ。話した後、結局なにも伝わっていない気がして頭の中が忙しくなった。でも、そのインターンのスタッフさんは私の出しゃばった雑談をフンフンと聴いてくれていて
「前はその折り方だったんです。でも、最近は真ん中で折るようになりました」
と教えてくれた。
 
ああ。じゃあ、もうきっとヘラルボニーは私が思っているよりずっと広く認知されているんだ。この真ん中折りで戦える会社になっているんだ。
そもそも、今回のように、取り扱い店舗に置いたり購入した人に渡す目的なら、リーフレットは真ん中で折られていても何も問題はない。A5の規格サイズになるから扱いやすいし。
ズラして折って認知度を上げるためのリーフレットから、購入者や関わりを持った人がもう一度思い出すためのリーフレットへ。
リーフレットの折り方が変わったことに、宣伝のステップが一段階先に進んだのを感じる。
 
「私が最初に手にしたリーフレットがこうやってズラして折られていたバージョンで、とても感動したので。すみません。」
インターンのスタッフさんは、リーフレットの中面を見ながら
「確かに、ここで折れば絵が折れずに済みますもんね。絵も大事な作品なので。」
と言ってくれた。…そうなの。そこだよね!
もう退散しよう。
インターン頑張ってくださいね」
と声をかけて店を出た。ヘラルボニーはいいぞ。インターン生も素敵だったぞ。
 

▶ヘラルボニー/ゼロからはじまる

会期:2021年10月15日〜2022年1月23日
会場:BAG-Brillia Art Gallery-
住所:東京都中央区京橋3-6-18 東京建物京橋ビル1階
開館時間:11:00〜19:00 
休館日:月(祝日の場合は翌日)、12月28日〜1月5日
料金:無料

 

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〈現代用語はとにかくビビッド〉

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自由国民社という出版社から郵便が届いた。
中身は「現代用語の基礎知識2022」。
大学時代にお世話になった先生が執筆した記事が載っている。この一年を象徴する出来事やキーワードを厳選し解説している事典だ。

現代用語の基礎知識」の存在を初めて知ったのは私が小学六年生の年の暮れ。
実家の父がふいに「これ面白いんだぞ」と書店で買ってきた。
我が家で一番分厚い書物は「広辞苑」という辞書だったけど、その中にはない、「チョベリグ」「チョベリバ」「MK5」などの流行り言葉が「現代用語の基礎知識」には載っていた。しかもご丁寧に生真面目に、言葉の意味まで解説されていたので笑ってしまった。
こんなお堅そうな分厚い本なのに。チョベリグの使い方を説明してるよ。

今回届いた「現代用語の基礎知識2022」は、実家にあったそれよりも薄くて軽くて、表紙の色は目がチカチカするほどビビッドなオレンジ色だった。
先生が執筆したという項目をあらかじめ聞いていたので、索引からワードを選んで見当をつけて記事を読んだ。ここかなという記事にあった文章。
「批判とは本来、人物ではなく行為に向けるもの。彼の発言は非難、相手の人格否定だ。」
これを読んだときに、わあ先生だー!と思った。
執筆者の主観が入らないよう編纂される辞書とは違い、執筆者の思いがチラリと見えるのがこの事典の面白いところだ。正確性・中立性を保ちつつも、絶妙な按配でピリッと刺す。

私は今、「舟を編む」という小説を読んでいる。
辞書を編纂する編集部の奮闘を描いたストーリーだ。
登場人物の交わす鋭い言語感覚やこだわり、言葉への執念みたいなものが面白くて、物語にのめり込む。
辞書の数行のまとまり一つ仕上げるのに、多くの時間と手間が割かれて完成に至るんだな。地道な作業の積み重ね。辞書や事典の編集って凄まじい。
だからこの小説を読んでいる時にたまたま、先生の関わった事典を読むことができてラッキーだと思った。
小説も事典も、書いた/作った側の〈中の人〉の存在を感じてより一層楽しめるから。

そういえば、表紙をなんでこんなに刺激的なビビッドカラーのオレンジ色にしたんだろう。
「ビビッド」を手持ちの辞書で引いてみる。

【ビビッド】vivid
〔形動〕生き生きとしているさま。鮮やかなさま。(「大辞泉」より)

ビビッドには、生命力を感じる。フレッシュで生きがいい。だから表紙をこの色にしたのかもしれない。
現代に使われている、生きた言葉たちを記録するための書物だから。

我が家でも、子Bが「スーパー速い」「スーパー疲れた」など、後に続く言葉を強調するときに使う「スーパー」。
子Aがフライングスネイク(蛇)の説明をする時に「飛ぶ蛇。いや、『飛ぶ』というより『滑空する』」と言った。子Aの中でのその語彙のもつイメージの違い。
夫がよく使う「気がきく」に含む独特の多様なニュアンス。気配りが行き届く、気遣いがある、粋だ、マナーがしっかりしている、品性を感じる、可愛げがある。
言葉はナマモノで、生きているし死んでいく。
個人的にも、それらを少しでも書き留めておきたい。

私が「現代用語の基礎知識」を読む入り口となった流行語のページをこどもと眺める。
「▶︎やばたにえん/やばたにえんの無理茶漬け」
「▶︎ぴえん超えてぱおん/ぴえん通り越してぱおん/ぴえんヶ丘どすこい之助」
「▶︎TNJ女子」
などを見つけて笑う。数年後には消えそうなのに、確かに存在したという証拠がページに刻まれてとても輝いている。